農林水産業みらい基金 対談
日本農業の新たな潮流 ~時代を拓く挑戦者たち~
農林水産業みらい基金
事業運営委員長
(日興リサーチセンター(株)理事長、元日本銀行副総裁)
山口廣秀 氏(写真左)
日本経済新聞 編集委員
吉田忠則 氏(写真右)
2014年3月、農林水産業と食と地域のくらしを支える全国各地の取組みの支援を目的に、農林中央金庫が200億円を拠出し「一般社団法人農林水産業みらい基金(以下「みらい基金」という)」が設立された。この間の取組みは、2017年6月に『農林水産業のみらいの宝石箱』として同基金から発刊され、昨年6月には第2弾である『農林水産業のみらいの宝石箱2~時代を拓く挑戦者たち~』が刊行されている。昨年12月には2020年度の助成対象事業8件も決定され、地域の農林水産業者の支援が積み重ねられている。みらい基金の取組みから、新しい年を迎えた農林水産業の新たな潮流について対談を通し感じ取ってもらう。
みらい基金の特徴
山口 私がみらい基金の事業運営委員長の職に就いたのは2014年6月からです。その年の3月にみらい基金が設立された過程でお引き受けいたしました。長年〝金融村〟におり、農林水産業の分野は素人でしたが、スタートしてみると、想像以上におもしろい仕事でした。
助成申請案件を審査するのが事業運営委員会の重要な仕事ですが、現場に赴き農林水産業の仕事をしっかり見るのは初めての体験でした。担い手の人達と議論するのも初めてで、刺激的だなと思い続けているうちに6年余が経過しています。
吉田 金融の原則として投融資する場合は返済や配当を期待する。将来リターンがあるからこそ審査が厳正に行われ、資金を受ける側も返済しなければならないからこそ一生懸命収益をあげ配当として還元する。
しかし、みらい基金の仕組みには基本的に返済も配当もないですね。一般的な金融の仕組みとはちょっと違います。『農林水産業のみらいの宝石箱』でも、現場の躍動感に満ちた取組みに紙幅が割かれており、むしろ運営に参加している皆さんの想いに相当依拠している仕組みではないかと思いました。
リターンはないが、心から第一次産業が元気になって欲しいと願う仕組みが一定程度持続し、それを担う元気な人達が案件の対象になっている点では、金融としては〝異例の仕組み〟で、これが元気になるバネとして回ってきているのではないかと感じています。
山口 そうなんです。そうしたものを全く期待しないで助成することは、これまでとは全く違う想いがなければ実現しない。
本当に申請案件をつぶさにみていきます。助成することで何を期待するのか等々、事業運営委員一人ひとりが将来の第一次産業への期待の実現に賭けているのだと思います。その期待は実現したい想いが強ければ強いほど、みらい基金の仕事は充実していくと思います。事業運営委員メンバー一人ひとりの考え方やキャラクター等が相当反映している事業であるとも言えます。
これまでの助成先から
吉田 以前、マイクロファイナンスを取材し、すごく新鮮に感じました。みんなでファンドのようなものをつくり、第一次産業の担い手など多様に融資し5年程度で返済するのですが、借り手が感謝するだけでなく返済終了時に貸し手も感激して泣いたりするのです。自分たちが投資したお金をこんなに育ててくれたと。
山口 我々としてもそういう感覚を持ち得るプロジェクトは多いですね。
例えば、滋賀県の開発営農組合は地元のJAおうみ冨士と一体で人材育成のプロジェクトを立ち上げ、農業に参入してもらうための〝農育〟の実現をめざしました。現実にどのような形で育てるのか。カリキュラム作りには大学との連携も必要になってくるし、農業現場を知るための圃場整備もしなければならない。そのために必要な資金の申請がみらい基金にあり、助成に至りました。
我々としては、こうした動きのように、そこだけに留まっているのではなくそこからの拡がり、地域性や社会性を重視しています。
林業でも、ヒノキと同じ強度がありながら、成長がスギより早いコウヨウザンという樹種について、広島県を一大生産基地にする広島県森林整備・農業振興財団の事業が進んでおり、原産地である台湾の林業試験所と共同研究協定を締結するとともに、台湾側からより成長の早い種子の提供を受ける話まで進んでいます。
このように一つのことからどんどん拡がりがでてくる案件は、枚挙に暇がありません。
2020年度助成先の傾向
山口 世の中がどんどん変わっていくなかで、それについていこうとするプロジェクトリーダー達からすれば、この6年間は知恵を絞って変化に対応することが求められた期間だったのではないでしょうか。
2020年度は、147件の応募をいただき、うち8件への助成を決定しました。今回の案件は、国産のものを使うことへ強い思いや、新しい技術を活用することで地域の新たな産業づくりを目指すなど、時代の変化を上手く捉えた案件が出てきています。
吉田 これまでの案件でも、取材に端を発して長年お付き合いさせていただいている方々の名前も見られ、みなさん歩みを止めずさらに一歩踏み出していると感じました。なかなか感覚が鋭いですよね。それぞれこれまでとは方向性が違うことにチャレンジしたり……。
国産の樽を使った国産のワインづくりも、樽への着目はなかなかおもしろい。1次産品の売り込みにはストーリーづくりが大切と言われますが、〝頑張っている〟〝顔の見える〟だけでは、もはや埋没してしまいがちです。
山口 これは事業運営委員からも支持する声が高かった案件です。輸入樽では所詮外国産のワインになってしまう。国産の樽を使うことでまさに純粋に日本のワインを作り売っていく。地域の山ぶどうと広葉樹で「森から生まれたワイン」の未来を拓く視点は素晴らしい。
吉田 日本のお酒はウイスキーも含めて国際的な評価が定着していますが、そこに林業が絡んで変わっていけるのは、着眼点としておもしろい。
山口 その意味でも常に新しいものを求めていきます。我々が助成先を選ぶとき、「内発性・チャレンジ性・モデル性」「創意工夫・独自性・革新性」「地域性・社会性」「事業性・継続性」そして「あと一歩の後押し」の5つの視点を大事にしています。今回のワイン樽のような案件は、これらの視点と繋がっている気がします。
関係する人々の心から湧き上がってくる想いが内発性ですし、それが拡がりを持ち周囲の人達と連携できれば社会性や地域性が拡がり、自ずと事業継続性も高まっていきます。世の中の変化や常に新しいものを模索している人達の想いと上手くつながるような視点なのではないかと思っています。
審査の視点をめぐって
吉田 バブル経済の隆盛から崩壊を経て日本の経済は劇的に変化しました。サービス業が国際的に評価されはじめ、インバウンドの急激な伸びにつながりました。日本の魅力で「食」をあげるインバウンドも多い。平成の時代を通して日本発の食文化、和食だけではなく日本で作られたフランス料理やウイスキー、お菓子に至るまでの食文化を海外に発信できていることと第一次産業は不可分で、その観点からももっと可能性を秘めているのではないかと思います。
山口 ヒントとなるのはいわゆる「6次産業化」ですね。農林水産業の現場から消費者一人ひとりにサービスや食を届けていくシステムを創っていく。農業や林業、漁業の一つの動きが結果として流通段階や小売などのサービス業にもプラスを及ぼす。そのプロセスには設備投資も雇用も必要になり、メーカーや労働者にもプラスになる。農林水産業の動きは拡がりがあるものだという視点が必要だと思います。
吉田 みらい基金としても、より新しい視点から助成対象事業が発掘されてくる観点でもありますね。
山口 基本は前述の5つの視点を守っていきますが、最後の「あと一歩の後押し」部分で、例えば8合目、9合目まできている山の残り2合、1合を考えるとき、その山のクオリティ、美しさをみらい基金の事業運営委員会としてどのように見るかに関わってくると思います。
時代環境が変わるに従い、我々の発想や審査の目線も変わっていくことになるでしょう。同様に世の中の変化に応じて、内発性や独自性など我々が大切にしている視点から我々が拾い上げるプロジェクトも変わってくると思います。
吉田 一次産業の世界のなかで、ずっと行ってきたことの延長でともすれば見逃しがちなことを、むしろ外の世界から広く産業界を俯瞰する視点で見ると、当事者が気づかない変化や可能性に気づかれることもあるのではないでしょうか。
山口 そういう面があれば大いに嬉しいことですね。実際の担い手達の想い、その結果として表れてくる方向性等は非常に重要です。我々は審査の過程で第一次産業のなかで起きている変化を身近に感じております。それを広く農林水産業に携わる人やそれ以外の人へも伝えていくことで刺激を与えていきたい。そのために2冊の本を出し、Webでの情報発信にも力を入れています。
自然災害やコロナ禍で
山口 近年多発している自然災害は、農林水産業者の経営にリスクであるとの発想からすると、それをいかにミニマイズしつつリターンを多くするかという金融業的発想に近くなってきます。ただ、農林水産業者はそうした目で自然災害を見ていないように思います。台風や豪雨災害等は確かに苦労の種ではありますが、それは克服するというより変化に対応すること、ある意味、慣れ親しんでいくプロセスのように捉えているのではないでしょうか。
コロナ禍によって仕事ができなくなったり、次の仕事の展開方向を予測しなくてはならないのは大変なことですが、新型コロナをはじめ家畜伝染病や病害虫に対する受け止め方は、都市部の生活者とはかなり違っているのではないかと思います。今回の審査はWeb会議で実施したため、実際に現地でお話を聞く機会がなかったのですが、次回はぜひこの点について聞いてみたいと思っています。
吉田 農協は、いろいろな改革論議で批判されてきましたが、農協の有する市場出荷のシステムは、いざというとき需要のある方からない方へと売り先を柔軟に変えていく太い流れを構築してきています。それが、自然災害やコロナ禍等でいざというときに真価を発揮する。改革が必要とみられていたものでも、やはり長期に存続するシステムの底力を感じます。
一方で、一定規模に達している農業生産法人は複数の売り先を持ち、こうした局面でもビジネスの感覚で機動的にシフトしている感じがします。それは彼らのこれまでの努力と評価していいのではないかと思います。
ただ、マーケットのスケールがインバウンドで膨れ上がってしまった和牛のような需要は、コロナ禍で消滅した部分があり、経営努力とは別の世界で難しい面があるとも思います。
零細兼業から大規模専業へと農業構造が劇的に変わるなか、副業があるから何とか食べていけるという人達と、農業だけで食べていく人達との間で自然災害等に対するリスクコントロールの発想は違うと思います。今、先進的な農業経営者はコロナや災害に決してやられっぱなしではなく、次の手を打つべく新しい仕組みを構築しつつあるので期待がもてるのではないでしょうか。
山口 農業には、そういう意味でのフレキシビリティ、柔軟性、弾力性があると感じます。農協系統の強みだとおっしゃいましたが、生産者と消費者の間で何段階にも存在する重構造が、完全には壊れてしまわない弾力性を創り出しているのかもしれませんね。
これからの農林水産業
吉田 この10年、農業をはじめ第一次産業に対する世の中の視線が、とてもポジティブものに変わったような気がします。第一次産業の担い手にとっても、多様なチャレンジができるような環境の変化を感じます。
山口 そうした動きが日本全体に広がってきているように思えます。
今、製造業やサービス業、金融業といった業種の〝のびしろ〟に一定の限界が見えてきているように感じます。そうなったときに、第一次産業をもう一度見直してみようという目線が出てくる。ある種の循環論のようなものが芽生えてきているのではないでしょうか。
私が最初に携わった三重外湾漁協は、高齢化が進み地域の漁業の担い手が途絶えてしまう危機感を感じた漁業者が、その土地に住み漁業で生計を立てていきたいという、血縁でもなんでもない人たちに漁業権を譲渡するという大きな割り切り方をしました。漁業権を守り続けてきた結果として拡がりがなくなったのではないかと。漁師を育てるための塾も開き、それが今日まで続いている。結婚するカップルができ、子どもも生まれ……。自然に湧いてくる若い人達の想いの結果が拡がってきているのです。
吉田 確かに、日本の経済成長率がかなりフラットになっている状況のなかで、ともすると中国や新興国の爆発的な成長と比べてしまいがちですが、日本は決して衰退したのではなく、むしろ次の社会の〝幸せの価値〟を、第一次産業を中心に地方を拠点としてクリエイトしている時期なのではないかと思います。
山口 何かが動いていることは事実ですね。決して止まってはいない。若い人達が自分達で動きを創り出してみようとしている。この動きは、今までとは違った日本を創る契機になるのではないかと期待しています。
みらい基金のこれから
吉田 地方銀行でもなく政府系金融機関でもない農協系統金融をベースとして、一定のスケールを持ちつつ個別案件と密接につながり、かつ農業だけではなく林業や水産業、独立系も系統系も含めて綿密に見ることができるこの仕組みは非常に貴重だと思います。
山口 事業運営委員会には大学の先生やシンクタンクでそれぞれの分野の研究を重ねてきた人達、弁護士や会計士など様々な方が参加していますが、その議論は単なる想いだけでなく、相当深い知見を具体化してくるものです。それぞれの持ち味の素晴らしさと、スタッフのサポートに支えられてこそ、素晴らしい案件をピックアップできていると思います。
吉田 これからの第一次産業は、ベンチャー的なスピリッツを持つ人が存分に活躍できる世界だと思います。昨日と同じことを明日も続ける世界もありますが、情熱と才覚を持っている人が思う存分活躍できる土壌は、すでに十分できていると思います。そのためにこの仕組みが役立って欲しいし、そういう人達がどんどんチャレンジして欲しい。期待しています。
山口 時代を拓く挑戦者がいることは事実です。農林水産業にはまだまだやらなければならないことが多い。そこに若い人達がどれくらいチャレンジ精神をもって臨んでくれるかに期待しています。たぶん、私が想像する農林水産業の世界とは違う全く新しい農林水産業ができるのではないでしょうか。
そのための支援の一つとしてみらい基金が存在していると思います。そうしたところにしっかりと役立っていくことを常に意識することが、みらい基金の責務だと思います。
〈本号の主な内容〉
■農林水産業みらい基金 対談
「日本農業の新たな潮流 ~時代を拓く挑戦者たち~」
農林水産業みらい基金 事業運営委員長 山口廣秀 氏
日本経済新聞 編集委員 吉田忠則 氏
■JA全農の総合エネルギー事業の取り組み
■果菜類の虫害防除
農研機構 野菜花き研究部門 野菜病害虫・機能解析研究領域
虫害ユニット 豊島真吾 氏
■果菜類の病害防除
農研機構 野菜花き研究部門 野菜病害虫・機能解析研究領域
農学博士 寺見文宏 氏
■TACパワーアップ大会2020
JA全農が1月14日にウェブ開催
JA表彰のJAぎふ(全農会長賞)、JAいわて中央、JAにしみの、JAおちいまばり等表彰