日本農業の発展と農業経営の安定、農村・地域振興、安心・安全な食料の安定供給の視点にこだわった報道を追求します。

〈行友弥の食農再論〉復興って何だろう

2026年3月25日

 15日付の紙面にも書かせてもらった通り、地域おこし協力隊員として1年半を過ごした福島県飯舘村を来月離れることになった。東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故から15年。個人的にも一区切りを迎え複雑な感情が渦巻く。特に考えるのは「復興とは何か」ということだ。

 被災地の風景は変わった。津波で壊れたままの建物を見ることは少なくなり、道路などのインフラはむしろ良くなった。盛土でかさ上げした土地に新しい街ができた。高い防潮堤が築かれ、海辺なのに海が見えなくなった地域もある。

 原発事故による避難指示が出た地域でも、住民の帰還を促そうと立派な箱物が次々できた。農地などに積まれた除染土の袋も今はない。一見のどかな農村風景が戻ったが、明かりが灯らない家、建物が撤去され立派な庭木だけが残る宅地も目に付く。そんな場所にイノシシ、サルなどの野生動物が昼間から出没する。

 どの被災地も高齢化と人口減少が急速に進み、農林水産業などの地場産業が全体としては衰退している。せっかく造成した土地に人が戻らず、空き地だらけの街もある。復興支援の補助金で新しい工場を建てたものの、販売不振で倒産した水産加工業者も多い。施設ができた時は「復興のシンボル」と大きく取り上げたメディアも、廃業や撤退はあまり報じない。

 農業分野では、水田の基盤整備など「創造的復興」をテコに大規模化が進められた。離農者の農地を引き受け経営拡大に励む担い手がいても、地域の再生には必ずしもつながらない。小規模な家族経営が激減したからだ。「農業を再開すれば住民も戻ると思ったが、そうじゃなかった。復興って何だろう」。福島県南相馬市のある農業者は、そう筆者に語った。

 1923(大正12)年の関東大震災に際し、東京商科大学(現・一橋大学)の教授だった経済学者の福田徳三はハード偏重の復興政策を批判し「人間の復興」を唱えた。本当に大切なのは営生の機会、つまり人々の暮らしと生業(なりわい)の回復ではないか、と。100年以上前の問いに我々はまだ答えられていない。被災地の模索は続く。

(飯舘村地域おこし協力隊/農中総研・客員研究員)

日本農民新聞 2026年3月25日号掲載

keyboard_arrow_left トップへ戻る