〈本号の主な内容〉
■このひと
農政・農業の課題と解決への道筋
参議院議員 東野秀樹 氏
■令和7年度 JA助けあい組織全国交流集会
JA全中が開催
■令和7年度 JA教育文化活動研究集会
家の光協会・家の光文化賞農協懇話会が開催
■かお
JA全農 常務理事の 土屋敦 氏
このひと
農政・農業の課題と解決への道筋
参議院議員
東野秀樹 氏
今夏の参議院議員選挙で当選した東野秀樹氏(自民党・比例区)が、参議院農林水産委員会の委員になった。北海道で長年農業を営み、JA道北なよろ組合長等を歴任した東野氏に、今の農政・農業が抱える課題と解決に向けてどう取組むかを聞いた。
農政の大きな変わり目 その変動に対応
■国会議員として4カ月余り。今の率直な思いから。
改めて責任の重さを感じている。私は地方議員等の経験もなかったので、議会の体制や組織、文化、慣例など驚くことも多いが、日々経験を積み上げているところだ。
農林水産委員会の運営も多難となることが予想されるが、農政は大きな変わり目にある。時代の変動に対応し変わらなければならないところもあり、大事な局面を迎えている。そうした自覚と緊張感の中で仕事をしている。
■今の農業の課題について。
農業をめぐる環境が厳しさを増す中で、とりわけ担い手の減少を食い止めなければならない。若い世代が生産に汗を流した分だけ、きちんと評価される農業にしていく必要がある。私自身、農業者としてやってきて一番悔しいと感じるのは、生産物がなかなか価格として正しく評価されないことだ。
再生産価格(再生産できる適正価格)の確保、汗をかいた分、しっかり稼げる農業にすることがまさに一丁目一番地だ。当然、国の政策による支えが求められる。4月に閣議決定された新たな食料・農業・農村基本計画を実効性あるものにし、稼げる農業の実現に最も力を入れてコミットしたい。
食料自給率向上へ構造転換の推進を
■食料安全保障に向けての取組みは。
わが国の食料自給率(カロリーベース)は45%を達成目標(2030年度)に掲げながらも、ここ数年は37、38%程度で推移している。新たな基本計画では、激動する国際情勢も受けて平時からの食料安全保障を実現する観点から、農業の構造転換を集中的に推し進める5年間の計画期間を設定した。「この国の農業の構造を変えていく」という方向へ進まないと食料自給率は上がっていかない。
世界的に農産物価格が高騰する中で、日本の農産物は今の段階では世界市場で、どちらかというと取り残され気味だ。麦や大豆といった輸入に頼らざるを得ない農作物は政策で支えていくしかないが、少しでも国内で生産する能力を維持し、増やしていく重要性はきわめて高い。消費者、国民の理解をいただく必要がある課題だ。
コメ政策 需要に応じた生産と価格安定
■水田政策の見直しについては。
コメの需給が大きな問題となったことは、消費者に農産物の自給について考えていただくことができ、国内生産の大切さを伝える絶好の機会でもある。高市内閣の鈴木憲和農林水産大臣の下で、コメに関して「需要に応じた生産」の原則が改めて確認された。その中で価格も適正に維持しなければならない。
今回のコメ問題では需給の見通しについて、流通の段階で手放しにしすぎた面があり、流通量がハンドリングできなくなっていた。その反省を踏まえ、国の役割として国民の主食であるコメの流通量をしっかりと管理し、不足しない生産に努めなければならない。
その場合も再生産価格の維持は重要で、需給のバランスを整えることが間接的に価格の維持につながる。実際、令和7年産米の価格が60kg当たり3万円を上回ったのは、生産者サイドから見ても上がりすぎの感はあるものの、市場流通の原理に基づく価格であることも消費者の皆様にはご理解いただきたい。1万円台前半の米価に戻ってしまうと本末転倒で、それでは生産者がやっていけなくなってしまう。適正な再生産価格としては、2万円ないし2万5000円程度で安定させていく必要があると思う。
農協組織への理解向上 発信が重要
■JAグループを代表する立場として。
選挙に向けて昨年3月から全国を回ってきたが、ちょうど米価が上昇を続ける中で農協に対する誤解に基づく批判も出て、各地の組合長の残念がる声を多く耳にした。概算金の仕組みなど、JAグループの組織そのものへの世間の理解が乏しいことを痛感した。
農協としても市場原理の下で、今回、かなりのリスクを覚悟しつつ高い水準の概算金を提示している。そもそも農協という協同組合組織は、組合員一人一人のための平等な組織だ。このことは、私も各地で伝え続けてきたし、関係者にも発信してほしいと思う。
「現場主義」で誇り持てる農業へ全力
■自身の農協時代の思い出は。
私が就農したのは、まだバブルの名残があり、同世代の農家の子供は親から「会社勤めをしなさい」と言われた時代だ。その中で私は唯一の担い手となった。31歳で地元の農協青年部長になり、間もなく農協合併の話が持ち上がった。関係する3農協の青年部長同士が話し合う中で「一緒にやっていくべきだ」との共通認識ができ、合併への後押しとなった。
合併してできたJA道北なよろは、もち米、畑作、野菜、酪農、畜産がそろった農協だ。6年間の組合長在任中、限られた酪農家をこれ以上減らせないと、要望のあった哺育・育成センターを造った。酪農家が利用するだけでなく、皆にメリットがある地域循環型の施設とすることで、他の農家からも理解を得た。
■政治家としての信条を。
現場主義というか、現場で農業に携わっていた時の気持ちを忘れず、次の世代の農業者がやりがいと誇りを持って続けられるように、努力に見合った評価がきちんとなされる農業を実現する。農協には協同組合組織としての意義があり、地域で「最後のインフラ」としての役割も果たしている。立場は変わったけれども、自分も一緒になって全力で汗をかくぞ、という強い思いを新たにしている。


