日本農業の発展と農業経営の安定、農村・地域振興、安心・安全な食料の安定供給の視点にこだわった報道を追求します。

日本農民新聞 2023年11月5日号

2023年11月5日

アングル

 

生物多様性からみる
農業生産と食料安全保障

 

(公財)日本自然保護協会
生物多様性保全部
理学博士

藤田卓 氏

 

 (公財)日本自然保護協会生物多様性保全部の理学博士・藤田卓氏に、生物多様性からみる農業生産と食料安全保障について聞いた。


 

生物多様性を基盤とした生態系に成り立つ農業

生物多様性農業について。

 環境省が2021年にまとめた報告書「生物多様性及び生態系サービスの総合評価」によると、農地生態系では過去50年間で急速な損失が起きたとされ、現在もこの損失が止まっていない。

 日本の生物多様性の危機要因の第1位は開発、第2位は管理放棄、すなわち人が手を入れないことであり、農業の視点で見ても同様であるが、人口減少や農業従事者が減少することから、特に管理放棄が今後問題になってくるだろう。

 2013年の環境省の報告書によれば、絶滅危惧種の全分類群の生息・生育環境を調べた結果、原生的な環境よりは、人の手の入った二次的な自然に生息する生き物が多く、絶滅危惧種全体の約6~7割が二次的な環境に生息する生物とされている。農林漁業にも関わりの深いウナギやメダカ、ハマグリ、アワビ等、従来は普通だった生き物たちが近年、絶滅危惧種に選定されている。また、弊会が事務局を務める「モニ1000里地調査」の結果によると、里山に生息する身近なチョウ類のうち約3割(30種:イチモンジセセリ等)が絶滅危惧種に該当するほど急速に減少していることが明らかとなった。このように、身近な生物も絶滅危惧の危機にあるのが日本の生物多様性の現状であり、農林漁業を持続可能な形に転換していくことが絶滅危惧種の保全にも重要になってくる。

 農業は本来、生物多様性を基盤とした生態系サービスによって成り立っており、この生態系サービスを最大限に活かす、すなわち生き物を味方につけることが重要である。農業に関連する生態系サービスとして、リンゴやメロン等が結実するために必要なミツバチ等による花粉媒介や、病害虫が増えすぎないよう抑える調整サービス、有機物を分解して土壌を作り作物に栄養塩を供給する基盤サービス、食料となる多様な農産物をもたらす供給サービス、稲作文化や農作業など土や緑とふれあうことで人が健康になる等の文化的なサービスがある。

 

TCFDやTNFDの拡大に期待

世界的にはどのように議論が進んでいるのか。

 昨年12月のCOP15(国連生物多様性条約第15回締約国会議)で新たな枠組みが決められた。その中でも重要な目標として、2030年までに生物多様性の劣化を防止し回復軌道に乗せるネイチャーポジティブの実現と、2030年までに陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全することをめざすという「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」がある。

 日本の現在の保護地域は陸地面積の20.5%となっており、2030年までのあと7年で約10%という広大な保護地域を追加指定する必要があり、その達成はハードルが高いものの、生物多様性保全のために重要な目標である。

 そこで今、注目されているのは、OECM(Other Effective area-based Conservation Measures)という新しい保護地域の概念である。これは、従来のような保護を第一の目標とした保護地域だけではなく、社寺林、企業緑地、生物多様性に貢献する農業など、生物多様性保全が第一の目的ではないが結果として守られてきた自然も保護地域としてみなすというものである。

 OECMはCOP10から提唱され、30by30実現のために近年注目されている。OECMの基準は、国際基準を原則としつつ、各国の実情に合わせて決めることになっている。日本ではこの基準づくりが進行中で、環境省で「自然共生サイト」という名称で新しい登録を試行することになったのがホットな話題である。

 日本の農用地面積は国土の13%を占めるとされているため、今後、生物多様性保全にも貢献する農業を奨励しつつ、「自然共生サイト」に農地を登録することが30by30達成のカギとなってくる。

 一方で、「自然共生サイト」に登録してもメリットが乏しく、農地の場合は生活がかかっていることもあるので、メリットをいかに作り出すかが課題となっている。

 また今後、もう1つ注目する動きとして、COP15で採択されたネイチャーポジティブの実現に向け、近年検討が進んでいるTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)がある。TNFDとは、企業の事業活動が生物多様性に及ぼす影響や依存度に関して情報開示する仕組みである。これに先駆けて作られた、気候変動への影響を開示するTCFDでは、企業が資金調達のために融資を受ける際には、TCFDが不可欠となり、大企業等を中心として対応する動きが加速しているとされる。

 TCFDやTNFDはまだ発展途上ではあるが、これらを拡大することで、企業活動のサプライチェーン全体で、気候変動や生物多様性の影響を把握し、その悪影響を回避・低減し、持続可能な企業活動へと転換する仕組みとして期待されている。

 

環境保全を基盤とした持続可能な農業を

食料・農業・農村基本法の見直しが進んでいるが。

 現行基本法の課題は、持続可能な農業を実現、もしくは転換していくための要となる、環境保全の政策の欠如である。この課題解決のために最も重要なことは、「現行の基本法で掲げた、食料・農業・農村の3つに加えて、『環境』を明確に政策の柱に据えるため、法律の名称、目的、具体的な施策を条文に追加すること」である。

 現行基本法の4つの基本理念のうち、「食料の安定供給」「農業の持続的な発展」「農村の振興」は、法律の名称・目的に明記され、法律の条文の中に具体的な施策が記載されている。これに対し、4つ目の「多面的機能の発揮」は、いずれも記載がなく位置づけが不明確なこともあって、環境保全対策が十分なされず、環境負荷増大や生物多様性の低下が続いている現状がある。

 多面的機能、すなわち生態系サービスにはそれぞれトレードオフがあり、これらのトレードオフを考慮し、それぞれの生態系サービスを損なわないよう、持続的に利活用する視点が重要である。例えば、気候変動対策のための水田の中干しは、メタン等の発生抑制に効果がある一方で、水生生物が干上がって死亡する等の生物多様性への悪影響が報告されている。中干しで死亡する水生生物の中には、害虫の天敵となるトンボ類やカエル類を含むため、中干しによって害虫が増加し、それを防ぐために殺虫剤をより多く使用する必要がある等のデメリットや、持続可能な農業の実現に逆行している場合もあるかもしれない。気候変動対策と生物多様性保全を両立するためには、中干しの期間の調整や、生物の避難場所となる水辺(江)を水田内やその周囲に設置する等の対策を同時に実施する必要がある。しかし農水省の気候変動対策として、2023年に開始したJクレジットでは、水田の中干の延長を対象としたものの、水辺の設置など生物多様性保全の保全対策を義務化していないため、気候変動対策へ貢献する一方で水田の生物多様性の衰退が危惧される。生物多様性保全を義務化する等の見直しが必要である。

 このJクレジットの問題は氷山の一角であり、農業に関わるあらゆる施策について、生物多様性保全を含む生態系サービスの持続的な利活用を強力に推進するため、基本法の柱に『環境』を追加すべきである。

 基本法見直しへ向けた「最終取りまとめ」の注目のひとつが、「食料安全保障」であるが、ここでも、環境保全を基盤とした持続可能な農業の実現という視点の欠如という課題がある。

 海外から価格の安い食料・化学肥料を輸入する方が短期的に見れば効率がよいかもしれないが、長期的にみると主に2つの問題がある(食料安全保障の観点は除く)。

 1つ目は、地球レベルでみた環境負荷の増大である。具体的には、輸入するための物流の過程でCO2を排出したり、海外の資源を収奪する可能性もあるなど、環境負荷を高めるなどの問題である。

 2つ目は、国内の農山村の空洞化・衰退と里山の生物多様性の危機の問題である。

 農山村の空洞化はなぜ起きてきたのか。第二次世界大戦前の日本では、農地の肥料は、里山の雑木林の落ち葉、草原の緑肥、人や家畜の糞尿を堆肥として地域内で循環させていて、そのための労働力や経済が地域内で循環していた。その後、肥料と食料の輸入が増えたため、国内にあるお金は海外に流れ、地域内の自然資源や労働力の循環もなくなり、農山村の空洞化、衰退が進行している。里山の雑木林の落ち葉、草原の緑肥等の自然資源の利用がなくなる、すなわち草刈りや雑木林の伐採などの撹乱がなくなり、里山の生物多様性が低下する問題が起きている。

 第二次世界大戦前のようなシステムに戻すことは現実的ではないため、現代社会にあわせた新しい形の地域内の自然資源の循環利用と農山村の活性化・地域づくり、特に都市と農村間の、人や自然資源などを含む交流が必要である。例えば、都市の生ゴミや汚泥を農村で利用することや、環境省が推進する地域循環共生圏や、韓国の一村一社運動などのように、都市と農村の交流・自給の仕組みを強化していく必要がある。


 

〈本号の主な内容〉

■アングル
 生物多様性からみる農業生産と食料安全保障
 (公財)日本自然保護協会 生物多様性保全部
 理学博士 藤田卓 氏

■持続可能な農業・地域共生へ
 わがJAの取組み(集中連載第2回)
 ○JA晴れの国岡山(岡山県) 代表理事組合長 内藤敏男 氏
 ○JA北越後(新潟県)    代表理事理事長 佐藤正喜 氏
 ○JAえひめ南(愛媛県)   代表理事組合長 吉見一弥 氏
 ○JAおきなわ(沖縄県)   代表理事理事長 前田典男 氏
 ○JAはだの(神奈川県)   代表理事組合長 宮永均 氏

■新トップに聞く
 JA全農たまご㈱ 代表取締役社長 河上雄二 氏

■第5回 協同組合の地域共生フォーラム
 みんなで幸せに暮らせるまちづくり~協同組合らしいケアを考える~

蔦谷栄一の異見私見「〝見えないもの〟の重要性と必要な情報発信」

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