鈴木憲和農相の評判がメディアで芳しくない。米政策をめぐる「(政府は)価格にコミットしない」「需要に応じた生産が原則」などの発言が、消費者より生産者に顔を向けた古い農政への先祖返りと受け止められているからだ。本当にそうだろうか。
鈴木氏の主張をひっくり返せば「政府が米価にコミットし、需要を無視して生産する」ことになる。筆者のような旧世代から見ると、それは30年前に廃止された食糧管理制度への回帰に思える。食管制度では国が主食用米を直接売買した。緊急時に備えて買い入れ、平時は5年後に飼料用として処分する現行の備蓄制度とは違う(食管時代も過剰在庫を飼料用などにして処分することはあったが)。
政府が売り買いする価格は米価審議会(米審)で決めた。生産者側(農協など集荷業者)から高く買い、消費者側(卸など流通業者)に安く売る「逆ザヤ」と過剰生産により「食管赤字」が累積し、その解消を図るため減反政策が始まった。政府を通さない自主流通米制度も同時に創設されたが、政府米の買入価格が自主流通米価格の実質的な下支えになった。要は国が相場を作っていたのだ。
減反に取り組まざるを得なくなったのは、政治の影響下で政府が需給を無視して米価を決め、結果的に米余りを招いたからだ。民間企業に「需要は考えず、作れるだけ増産しよう」という経営者がいるだろうか。「余った米は輸出すればいい」という人もいるが、自動車メーカーは余った車を輸出しているわけではない。血のにじむような努力を重ねて海外市場を開拓し、輸出産業になったのだ。
筆者が取材した最後の米価決定は96年だが、調整の先頭に立った当時の紀内祥伯食糧庁総務部長が米審の直後に自死するという衝撃的な事件があった。米価を据え置く条件として講じた関連対策(補助金)をめぐり政治サイドから強い圧力をかけられていた、と証言する関係者もいる。
そんな悲劇を繰り返さないためにも「需要に応じて生産し、価格は市場に委ねる」という当たり前の産業を目指してほしい。生産者や消費者を守るのは、別の方法でもできるはずだ。
(農中総研・客員研究員/飯舘村地域おこし協力隊)
日本農民新聞 2025年11月20日号掲載


