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〈行友弥の食農再論〉虹の彼方へ

2019年5月25日

 年齢を重ねるうちに知人の訃報に接することが増えてきたが、今回はこたえた。農林年金理事長の松岡公明さんだ。先月28日、登山中の事故で亡くなった。享年62。あまりに若すぎた。
 全中で米政策を担当されていたころ、駆け出し農政記者として取材したのが最初の出会いだ。豪放らい落な人柄にひかれたが、理想家肌で一本気なところも魅力だった。通夜で再会した全中の元幹部は「熱皿漢でね。手綱を引くのが難しい部下だった」と懐かしそうに振り返った。さもありなん、と思う。
 当時、松岡さんがまとめた全中の「RICE戦略」は、ウルグアイ・ラウンド合意に基づく米市場開放と、それを受けた食糧管理制度廃止(民間流通主体の食糧法への切り替え)に対応したものだ。うろ覚えだが、Rは「再構築」または「改革」、Ⅰは「アイデンティティー」、Cは「結集」、Eは「効率化」を意味する、それぞれの英単語の頭文字。それを米(RICE)にひっかける言葉のセンスも彼らしい。
 中でもこだわりはⅠ、つまり「農協らしさ」にあったのではと勝手に想像する。松岡さんは、協同組合の理念と意義を頑固なまでに説く「原理主義者」でもあった。農協は単なる経済団体ではない。まして農政の代行機関や自民党の集票マシンでもない。地域に根差した協同組合としての原点を忘れるな――そう訴え続けた。
 原理主義ではあっても、教条主義者ではなかった。協同組合は時代に合わせて進化し続けなければならない。社会に開かれた公器として、常に新たな役割を求めるべきだとも主張した。現代公益学会編「東日本大震災後の協同組合と公益の課題」(共著)では、こう書いている。「協同活動は内部に留まることなく、地域任民・社会との多様な接点をつくりながら、協同活動を社会的共通価値とすべく進化、発展させていかなければならない……(協同組合は)レインボーのように輝きながら、共益性と公益性のグラデーションを描いていくだろう」
 「平成」の終わりとともに飛び立った松岡さん。通夜の会場には登山に明け暮れた青年時代の写真も飾られていた。そのまっすぐな視線は、最後まで虹を見つめ続けていたことだろう。
(農中総研・特任研究員)

日本農民新聞 2019年5月25日号掲載

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