ナターシャ・グジーさんの音楽を聞いたのは5年前の4月、福島県南相馬市で開かれた「菜の花サミット」でのこと。透き通った歌声と民族楽器「バンドゥーラ」の繊細な音色、そして母国ウクライナを想う語りに心を揺さぶられた。
チェルノブイリ原発から3.5kmの町プリピャチに暮らしていたグジーさんは、1986年の原発事故で家族とともに被ばくした。救援団体の招きで民族音楽団の一員として来日したことをきっかけに移住し、20年以上にわたって日本で音楽活動を続けている。
菜の花サミットは、ナタネ栽培を通じた環境再生や地域活性化に取り組む全国の人々が交流するイベントで、2001年に滋賀県で第1回が開かれた。南相馬市が開催地になったのは福島第1原発事故の後、ナタネの生産が盛んになったからだ。筆者も何度か見たが、青空の下に広がる一面の黄色い花は復興への希望を象徴しているように思えた。
土壌中の放射性セシウムはナタネに吸収されるが、種子から絞った油には移行しない。ヒントになったのが、チェルノブイリ原発事故で農地が汚染されたウクライナ・ジトーミル州の取り組みだという。主食である米が風評被害で打撃を受ける中、代替作物としてナタネが浮上した面もある。
「青空の下の黄色い花畑」といえば、第2次世界大戦で引き裂かれた男女を描いた名作映画「ひまわり」が思い浮かぶ。枢軸国側の兵士として旧ソ連の戦地に送り込まれ、行方不明になったイタリア人男性と、彼を探し求める妻の悲劇だ。冒頭などで映されるヒマワリ畑は、ウクライナで撮影されたものだという。
青と黄を重ねたウクライナ国旗のデザインは、青空の下で黄金色に実った麦畑を表すという説もある。その豊かな土地が80年近く前に地獄の戦場と化し、36年前の原発事故で汚染され、いま再びロシア軍の軍靴に踏みにじられている。同じ戦争や原発事故を経験した日本人も傍観者ではいられない。
グジーさんは代表曲の一つ「希望の大地」でこう歌っている。
「大地を吹き抜ける争い、悲しみ/いくつもの悲劇を乗り越え歩んだ」
ウクライナの大地に再び希望が戻ることを祈り、自分に何ができるかを考えたい。
(農中総研・特任研究員)
日本農民新聞 2022年3月25日号掲載