日本農業の発展と農業経営の安定、農村・地域振興、安心・安全な食料の安定供給の視点にこだわった報道を追求します。

〈行友弥の食農再論〉不要不急

2020年5月21日

 新型コロナウイルスが気付かせてくれた。人生がいかに「不要不急」の要素に満ちていたかを。しかし、それらを排した生活が何と味気ないものであるかを。
 新型コロナウイルスで農業が受けた打撃はさまざまだ。深刻なのは、学校給食や外食などの売り先を失った酪農・畜産(特に和牛)、イベント・贈答・観光などの関連需要が急減した花き・果樹だ。もちろん、経済の低迷が続けば影響はあらゆる作目に及ぶ。消費者の低価格志向が強まり、高級ブランド品ほどダメージが大きくなりそうだ。
 学校給食は別として、外食やイベントをターゲットとする高級牛肉や花は、しょせん「不要不急」の品目だったのか。農業は「ハレの日のぜいたく」ではなく「日常の生活物資」(コモディティー)の生産に回帰すべきなのか。
 そんなに単純な話ではないと思う。「人はパンのみにて生くるにあらず」とキリストは言った。信仰の大切さを説いた言葉だが、もう少し広く解釈してもいい。親しい人と一緒に食事することや、花を贈って祝福の気持ちや弔意を示すことも、人生には欠かせない。
 自粛生活も味気ないことばかりではない。「オンライン飲み会」で遠く離れた土地にいる友人と旧交を温めた。自宅周辺を散歩し、ちょっと珍しい野鳥と出あった。すれ違いの多かった家人との会話が増えた。家事を分担してみて、その苦労がわかった。感謝の気持ちを示すため、散歩の帰りにちょっと高い牛肉や花を買ってみたりもした。
 新型コロナがもたらす消費者の行動変容が一過性のものか、不可逆的なものかはまだわからない。ただ「ぜいたく」の形がこれまでとは少し変わるかも知れない。豪華な外食や華やかなイベントより、家で過ごす時間を大切にする人が増えそうな気がする。その方向に、単なる「消費減退」とは違う可能性を見いだせないだろうか。
 もちろん、コロナで日々の生活の糧や住まいを失った人々が大勢いることも忘れてはいけない。販売先を失った食料を、フードバンクなどを通じて困っている人に届けるようなことも必要だろう。そのような模索の先に「豊かさ」の新しい形を描くことができたら――と夢想している。
(農中総研・特任研究員)

日本農民新聞 2020年5月21日号掲載

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