日本農業の発展と農業経営の安定、農村・地域振興、安心・安全な食料の安定供給の視点にこだわった報道を追求します。

〈蔦谷栄一の異見私見〉小さいことに価値を置く令和に

2019年8月13日

 平成から令和へと元号が変わったが、振り返ってみれば平成はTPPやFTAに象徴されるようにグローバル化の進展が顕著であり、これを必然化させたのが利益追求と組織化・システム化・規模拡大であろう。組織化・システム化・規模拡大は市場化・自由化の流れの中で膨張を続け、大きくなることによって利益と競争力を確保すると同時に競合相手を倒したり吸収・統合してきた。こうしているうちに国内でのマーケットは成熟してしまい、一方で生産能力は過剰化して、海外にマーケットを求めるしかなくなったというのがグローバル化の本質と考える。この間、競争に勝ち抜いていくためにコスト低減が至上命題となり、低廉な労働力を求めて生産拠点の海外移転も当たり前、企業の多国籍化がすすんだ。
 これにともなって産業構造は大きく変化し、農業でも規模拡大がすすむ一方で、GDPに占める農業の割合は1%にまで縮小した。しかもグローバル化がすすむほどに貿易交渉はし烈を極め、貿易自由化交渉の見返りとして一方的に犠牲を強いられてきたのもまた農業であった。農業は一見すると規模拡大が進み、担い手への農地集積が進行しつつあるように見えなくもないが、実態は“馬の鼻先に人参”で、所得増加という餌をちらつかされるだけで、いくら走っても餌にありつけない馬の如し、といっても大きくははずれていないであろう。平成になっての農業・農村の沈滞ぶりは覆うべくもない。このような流れを牽引してきた輩どもの基本にあるのは、市場化・自由化原理主義であり、大きいことはいいことだという規模拡大志向と、要するに儲かってなんぼというマネー信仰は甚だしい。
 こうした時代環境の中で興味をひかれるのが、平川克美の『小商いのすすめ』やえらいてんちょうの『しょぼい起業で生きていく』等の売れている書籍に代表される「現金だけが儲けではない」とする若者の動きであり、農業の世界でも田園回帰や新規就農者の有機農業への志向の増加である。これは小農権利宣言や家族農業の10年等の国際的な動きともある意味では連動しているようにも感じる。グローバル化がまさに限界にまで行きつこうとしている中で、まだ芽を出し始めたばかりの動きではあるが、これまでとはまったく異なる発想からの社会見直しが着実に広まりつつある。
 このような新たな芽の最大の特徴は、“小さい”ことに価値を置いているところにある。小さいからこそ組織から解放され、管理社会から距離を置くことができる。大組織に依存する生き方から脱皮して、あくまで自立・自給・共助を重視した生き方を求めようとしている。そこではマネーは一定の価値を持つにとどまり、直接的に物と物を交換したり、労力の提供等できることで補完していく。まさに贈与によって回していく社会をイメージしている。
 アベ農政批判、農産物自由化反対を強めていくことは必要だ。しかしながらこれはこれとして、所詮、お上にすべてを依存することなどできるわけがない。むしろ自分たちで、地域で、できることを一つずつ積み上げ、できるだけ地域の中で物をまわし、地域自給圏を創り上げていく。令和がそうした時代になることを望まずにはいられない。
(農的社会デザイン研究所代表)

日本農民新聞 2019年8月5日号掲載

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