広島市北部で栽培される「広島菜」は漬物にすると歯切れがよく、特有の香りとピリッとした風味があるという。
主産地の川内地区はかつて独立の「川内村」だった。1945年8月6日の原爆投下の際は家屋に被害が出たが、住民で構成する「川内村国民義勇隊」が広島市内で建物の解体作業などに当たっていた。約200人の隊員全員が被爆し、亡くなったという。
大半は働き盛りの男性だった。一家の大黒柱を失った妻たちは戦後、悲しみに沈む暇もなく農業を営んで家計を支え、助け合いながら家事や育児に励んだ。広島菜が今に伝えられるのは彼女たちのおかげだろう。
その体験を記した知られざる名著が、神田三亀男編「原爆に夫を奪われて――広島の農婦たちの証言」(1982年刊、岩波新書)だ。明治・大正期に生まれて農家に嫁ぎ、激動の昭和を生き抜いた19人の苦闘が素朴な広島弁でつづられ、胸を打つ。夫が行方不明になったある人は、夜中に外で物音がするたびに飛び出し「70歳を過ぎても夫が戻ると信じて生きてきた」と話す。
刊行時、編者は日本農業新聞の地方版デスクだった。同紙広島版に連載した53本の記事を元に追加取材し再構成した。「編者」とあるが、あとがきを読むと取材・執筆もほとんど一人で行ったものと思われる。録音機に頼らず2、3時間もメモを取り続け、時には一緒に涙を流したそうだ。
多くの証言に共通するのは「戦争は二度と起こしてはいけない」という思いだ。ある女性は「自衛隊をふやしたりしようりゃあ、また戦争するにきまっとる。軍備が自然に大きゅうなって、大ごとの戦争をするんじゃ。こんど戦争したら日本は全滅じゃ」と警告した。若い世代が原爆の話を聞こうとしなくなった世相に「今が恐ろしい」と語った人もいる。
同書の出版から44年。日本の防衛費はGDP(国内総生産)の2%に迫り、さらなる増額も議論されている。非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)の見直しを示唆する高市早苗首相や小泉進次郎防衛相の言動に危うさを感じるのは筆者だけではないだろう。こんな時代だからこそ、戦禍を体験した人々の小さな声に改めて耳を傾けたい。
(農中総研・客員研究員)
日本農民新聞 2026年8月25日号掲載



