農業・農村と国民生活の持続可能性
市街地にまでクマが出没するように
2024年11月末、秋田市街のスーパーにクマが侵入する事件があった。その後も各地で市街地におけるクマの目撃情報があとをたたない。こうなると怖くて散歩もままならない。この怖さは、実際にいるかどうかではなく、そこにいるかもしれないという可能性の問題なのだということを実感する。農家の方々は、この恐怖と隣り合わせで農作業しているのだと思うと本当に頭が下がる。
市街地にまでクマが出没するようになった要因の一つに、中山間地域における急速な農家数の減少がある。それは、農業生産の基盤となる農業用用排水路や農道などいわゆる農業資源を保全するための草刈りや泥上げといった共同作業の参加者の減少をもたらす。
十分に保全管理されなくなった空間は野生動物たちにとって手頃な隠れ家となる。しかも家屋の敷地内には柿や栗の木が残っていることも多く、絶好のエサ場を提供しているに等しい。こうして次第に市街地近くにまで生息域が広がってきたのである。
人々の生活を見えないところで支えてきた農業
昨年12月中旬、筆者は秋田県北部のとある中山間地域で、担い手農家から聞き取り調査を行う機会があった。対象は経営耕地15ヘクタール程度で稲作主体に経営する50歳弱の経営主である。この地域は一部を除いて基盤整備はされておらず、粘土質の土壌であるため畑作物への転換も容易ではない。そのような地域で父親の跡を継ぎ、離農跡地を引き受けて経営耕地規模を拡大してきた。今後の地域農業の担い手として期待されている。
周知のように2024年産米の価格は近年になく高い水準となっているが、この農家も庭先価格は一俵当たり2万5000円程度になるだろうと語った。それに対する評価を聞くと、「15年前に就農して以来、はじめてこれで暮らしていけると感じた。この米価であれば次の世代にも農業をすすめることができる」と語ってくれた。「暮らしていける」とはどういうことか伺うと、農業機械を更新でき、普通の生活を営み、子供たちの将来に備えた貯金もできるということらしい。
ということは、これまでは農家としての生活が持続可能であると感じていなかったということである。それでも持ち堪えてきたのは、いわゆる家族経営の強靭性なのだろう。つまり自家労賃を低く評価することによって、米価の低下や機械や資材価格の上昇を吸収してきたのである。家族労働力による農業経営だからこそ成せるわざである。
しかし一般にこのような状況では就農しようという者はなかなか現れない。その結果、若い世代は地域外へ転出したまま戻ってこない。残された人々も高齢化し、やがて空き家となっていく。調査した地域でも世帯数の約4分の1が、普段誰も住んでいない住居となっていた。
中山間地域における農業資源の保全管理水準の低下や土地利用の空洞化は、食料供給の減少のみならず、下流域における水害の甚大化につながる。水田が有する雨水を蓄える機能が脆弱化するからである。逆に言えば、同地域で農業が営まれることで被害が出なかったケースが多くあったと推察される。
こうしてみると、中山間地域における農業・農村は、農産物を供給するだけでなく獣害や災害を抑制するなど、いかに多くの人々の生活を見えないところで支えてきたかが分かる。
これまでその費用は同地域の農家が負担してきたが、今後は社会全体でシェアするべきである。一つは財政負担によって。すでに中山間地域等直接支払制度があるものの、あくまで生産条件の格差是正が目的であり、同地域における定住条件を確保するという視点が弱い。現場の評価が高かったにもかかわらず集落機能加算の廃止案が出てくることに端的に現れていよう。交通や福祉なども含め地域課題の解決に向けた制度の改善・拡充が求められる。
中山間地域が果たす役割と農産物価格の「値頃感」
もう一つは消費者による負担、すなわち農産物価格への反映によってである。
中山間地域が果たしてきた役割を考えると農産物価格の「値頃感」は、もう少し高い水準にあっても良いのではないか。そのためには生産者と消費者の対立関係を乗り越える必要がある。
市場経済では、価格をみて売るか売らないか、買うか買わないかを判断する。基本的に相手の顔は見えず、両者は対立関係におかれる。この対立を乗り越えるためには、双方が価格以外の情報を共有するとともに信頼による結びつきを構築することが必要である。
その点において、相互扶助や相互学習を理念とする協同組合の役割が一層大きくなっているといえよう。各地の農協や生協の活動、そしてそれらの連携にも期待したい。
中山間地域における農業・農村を維持することは、国民生活全体の持続可能性を担保することにもつながる。不確実性が増すばかりの昨今だからこそ、これを機に国民全体で考えるべきテーマである。そしていつか2025年は転換の出発点だったと振り返ることができる未来が到来することを祈る。
日本農民新聞 2025年1月5日号掲載