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〈行友弥の食農再論〉「令和の米騒動」に思う

2024年9月25日

 この記事が載るころには沈静化していると思うが、9月上旬時点では「令和の米騒動」が最高潮だ。「店頭に米がない」「値段が高い」と連日のように報道されている。「入荷がないわけではないが、開店直後に売り切れてしまう」と小売店が言う通り、メディアが消費者のパニック心理をあおっている面もありそうだ。

 「昨年は平年作だったのに、なぜ不足するのか」「なぜ備蓄米を放出しないのか」等々、解説も盛んだ。農水官僚OBが古巣を批判し、農政に詳しくもなさそうな記者らがうなずく。「減反(米の生産調整)など場当たり的な政策を続けてきた結果だ」というのがお決まりの結論だ。一理はある。しかし、その「一理」で全体を語っていいのか。

 たとえば「減反をやめて増産すべきだ。米価が下がったら、直接支払いで農家の所得を補償すればいい。余ったら輸出に回せ。それが食料安全保障だ」という。だが、生産調整をやめたら、転作作物である小麦や大豆、飼料作物などの生産が減り、それらの輸入が増えないか。産地形成の取り組みや輪作体系も崩れてしまう。それは食料安保に逆行しないのか。

 補助金でコストを補って農産物を安く輸出するのは、WTO協定が禁じる輸出補助金に当たらないのか。そもそも民主党政権の農業者戸別所得補償制度を「ばらまき」と批判したのは、大手メディアではなかったか。米が「高い」というが、稲作農家の農業所得がわずか1万円である(2022年、農水省調べ)ことをどう考えるのか。

 ある民放のコメンテーターは「高齢化で農家が減る今はむしろチャンス。大規模農家に農地を集め、技術革新も進めれば米の生産コストは大幅に下がる」と語る。しかし、大規模農家も農地を引き受けきれなくなっている現実はご存じなのか。生産効率の悪い中山間地の棚田などは放棄するのか。そういう水田が担う多面的機能や集落のコミュニティーは失われていいのか。

 短絡的な議論の根底には、物事を包括的に理解しようとする姿勢の欠如があるように思える。今回の「騒動」を行政批判のネタではなく、消費者が農業問題を「自分ごと」として考えるきっかけにしてほしいと切に願う。

(農中総研・客員研究員)

日本農民新聞 2024年9月25日号掲載

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