宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」は、熊撃ち猟師と、その獲物である熊たちとの交流を描いている。熊の毛皮と肝を売るしか収入源がない猟師に、ある熊は「2年待ってくれたら、お前のために死ぬ」と約束し、それを果たす。だが、最後に猟師は熊に殺される。襲った熊は「お前を殺すつもりはなかった」と言い、猟師は「くまども、ゆるせよ」とわびながら絶命する。
もちろん、おとぎ話だ。だが、この国で狩猟や畜産に携わる人々が、動物に感謝と贖罪の感情を抱いてきたことは事実だ。東北のマタギ(猟師)は、仕留めた熊の魂を山に返す儀式を行う。捕鯨の盛んだった土地には「鯨塚」があり、食肉処理場にも供養塔がある。
熊の被害が多発している。環境省によると、今年4~11月の人的被害は統計開始以来最悪の212人。うち6人が亡くなった。被害の多い自治体は駆除を強化しているが、関係部署に「かわいそうだ」と抗議電話が殺到し、業務に支障をきたしているという。中には職員に危害を加えると脅すなど、悪質なケースもあるそうだ。
わなで捕獲した熊に人間の怖さを教えて山へ戻す「学習放獣」という方法もあるが、多大な時間と労力、コストがかかり、地元住民の理解も必要だ。多くの専門家は「駆除が現実的」とした上で、熊が人里に近寄らないような環境を整備し、人と獣の「すみ分け」を図るよう説く。逆に言えば、野生動物に「かわいい」とエサを与えるような行為はタブーだ。一定の距離と緊張関係を保つことが共存の道なのだ。
そもそも被害が増えた原因の多くは、環境破壊や農林業の衰退など人間の側が作った。その意味では確かに熊も被害者だ。しかし、自治体やハンターを責めるのはおかど違いというしかない。そんな短絡的な反応が出ること自体、人と自然との関係性が崩れたことを表わしている。
「なめとこ山の熊」には、貧しい猟師の足元を見て、毛皮を安く買いたたく商人も登場する。「本当に残酷なのは誰か」と、賢治は問うているのかも知れない。家畜伝染病による大量の殺処分を「かわいそう」と思いながら、畜産物の高値に不平を言う私たちは、その商人に少し似てはいないだろうか。
(農中総研・客員研究員)
日本農民新聞 2023年12月25日号掲載