日本農業の発展と農業経営の安定、農村・地域振興、安心・安全な食料の安定供給の視点にこだわった報道を追求します。

持続可能な社会へ 食と農から資本主義を問い直す 〈2022新春に想う〉

2022年1月6日

 

 

京都橘大学 経済学部 准教授

平賀緑 氏

 

 

 


マチでもムラでも「食べられない」

 食料援助が日本各地で行われ、若者や女性や「ごく普通の服装をしている人」を含む長蛇の列ができる。コロナ禍で失業や減給に追い詰められた人たちが、食費を削り、所持金数百円となってSOSを発するほど「食べられない」。同時に農村ではコロナ禍による需要減で、米価が暴落したり、出荷しても赤字になる野菜が廃棄されたりしている。生産者も経営的に「食べられない」。食料は余るほどあるのにマチでもムラでも「食べられない」現在の日本。何かおかしくないか。

 一方コロナ禍で消費が増えたのは、お菓子、パン類、冷凍食品類、即席麺、乾麺だったらしい。みごとに小麦や食用油など輸入原料を多用した加工食品群だ。でも小麦粉や大豆の輸入価格は上昇し、加工食品の値上げはさらに消費者を打撃することになる。だったら国産のコメや野菜を食べればいいじゃないか? 輸入原料に依存する加工食品や外食を好むのは、単なる消費者のワガママなのか?

 例えば農林水産省が提示している「食事バランスガイド」のような、健全な食生活はみんな知っているし、多くの人はそれを実現したいと願っているだろう。でも、主食、副菜、主菜、牛乳・乳製品、果物を適量揃えるだけの買い出しや料理を毎日できる人はどれくらいいるだろう。家族総出で働いて、これらの生鮮食品を販売している店が、通勤の途中に帰宅する時間まで営業しているとは限らない。仕事して買い物して帰宅してから、料理できる時間や余力がない人も多いだろう。家賃を削れば満足に調理できる台所も調理器具もないかもしれない。

 では、自分で料理しなくても、カット野菜やセット食材や野菜ジュースを活用すればOKか? そういう加工用に出荷する生産者に、出荷価格の違いを尋ねてみたい。

 では、自分で料理しなくても、中食を買ったり外食したりすればOKか? そんな低価格でバランスの良い食事を供給するために、生産者や、加工工場、販売店、外食サービスでの労働条件は安く悪くならないか。

 つまり、消費者が食事や子育てを満足に考え実現できるだけの予算や時間やエネルギーを確保できる、人間らしい働き方と人間らしい生き方ができる賃金や労働条件、政治経済社会が実現されなければ、地域の小農を支えることも食料自給率を高めることも難しいと思うのだが、いかがだろうか。

 

食べものから「資本主義」を解き明かす

 私たちの食生活には、自然や文化、人間の本能や消費者の嗜好だけでなく、政治経済社会的な諸要因が関係している。貿易政策や外交、農業政策から食品の表示方法まで、多分野における政策決定や、食料供給システムと関連の幅広い産業、これらを構成する企業群の戦略や動向によって、私たちが何をどう日常的に食べられるかが変わってくる。このような「食」をめぐる政治経済を研究する、食と農の社会学や政治経済学などが、ここ数十年間、主に英語圏学術界で展開されてきた(1)

 その一つである食農と資本主義を考える研究潮流に私もいるが、その世界観を学生や市民にもわかりやすく伝えたいと願い、2021年夏に『食べものから学ぶ世界史』(岩波ジュニア新書)を出版した。砂糖の世界史から産業革命と資本主義の始まりを語り、新大陸の肥沃な土地をトラクターで採掘し第一次世界大戦の特需に乗って生産拡大した小麦と、いくら安価でもパンを買えなかった世界恐慌の失業者たち。戦後は資本主義の黄金時代に大量生産された小麦、トウモロコシ、大豆など穀物・油糧種子と、これらを主原料とする加工食品や外食産業、畜産業を通じて形成された、食農の大量生産・大量消費体制、さらには食農の「金融化」やグローバル化まで、食べものから「資本主義」を解き明かすことを目指した。副題に「人も自然も壊さない経済とは?」と問うたように、学生や市民たちに、まずは身近な食べものから資本主義経済の成り立ちとカラクリを学んでもらいたい。そのことで自分たちが現在置かれた立ち位置を理解し、人も自然も壊さず民を活かすための「経世済民」を考えてもらいたいと願っている。

 

「農業の問題は農産物が安すぎること」

 なぜ、食と農を考えるために、資本主義を理解する必要があるのか。
 「ありあまるごちそう」の世界で、相変わらず毎分11人が飢え死にし、先進国でも途上国でも飢餓と肥満が併存し、農民は世界各地で廃業し続けている。加えて、現在の農業・食料システムが気候危機の一大要因だとの認識も広がっている(少なくとも海外では)。他にも問題が山積しているが、コモンズやパブリックを搾取して金銭的利潤と経済成長を追求する「資本主義的食料システム」としては、何も問題ではなく真っ当に機能している成果だと考えられる。この概念を提唱したエリック・ホルト・ヒメネスは、「食糧第一」をかかげるNGOの代表を長年務め、小農やアグロエコロジーを提唱している人だが、百年前の世界恐慌についてこう述べている。「農業の問題は生産不足ではなく、農産物が安すぎることだ。食確保(food access)の問題は価格が高いことではなく、失業だ」と(2)。現在の「食と農の貧困」とまるで同じではないか(3)。マチでもムラでも人びとがまともに食べまともに生活できる、持続可能な食と農を実現できる社会のためには、政治経済システムの根本から問い直す必要がある。「新しい資本主義」を唱えるならば、なぜ生産者も消費者も「食べられない」世の中になってしまったのか、その過程に資本主義がどのように関わってきたのかを、まずは見つめ直してもらいたい。

 行き詰まった資本主義にボロボロにされた人間と地球が生き延びるためには、「使用価値」やエッセンシャル・ワークを重視する世界にシステムチェンジする必要があると、斎藤幸平やナオミ・クラインなどが提起している(4)。農業や食料、保育や介護、公衆衛生などエッセンシャル・ワークを核に経済を再建すれば、雇用はたくさんあり(多くの管理職は不要になるけれど)、デジタルコモンズを構築し技術革新も民主的に進めることで、監視や偽情報への対策を講じることができるだろう。

 マチでもムラでも人間らしく食べ、人間らしく生活できるための「修復の年」を始められることを願っている。

 


1) 平賀緑、久野秀二「資本主義的食料システムに組み込まれるとき」『国際開発研究』、2019, 28.1: 19-37.
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jids/28/1/28_19/_article/-char/ja/ 他参照
2) Holt-Giménez, E. (2017) A Foodie’s Guide to Capitalism: Understanding the Political Economy of What We Eat, Monthly Review Press: New York.
3) 農民と反貧困グループによる「食の農の貧困」に取組むネットワークも動き始めている。
詳しくは https://www.facebook.com/groups/288740595952326
4) ナオミ・クラインによる提言動画 “A Message from the Future II: The Years of Repair” をぜひ参照いただきたい(字幕の設定変更で日本語字幕表示可能)。 https://www.youtube.com/watch?v=2m8YACFJlMg&t=2s

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