最近 テレビなどで「ワクチン」という言葉を聞かない日はないが、語源を調べたらラテン語で「牛」を意味する「vacca」だった。牛の搾乳をする人が牛痘という牛の病気にかかると、天然痘に感染しなくなる。そのことを知った18世紀の英国の医師ジェンナーが、種痘(天然痘の予防接種)を考案したことに由来するそうだ。
現在では、天然痘の免疫を作ったのは牛痘ウイルスではなく、偶然混入していた別のウイルスだったことが判明している。本来は馬の病気を起こすものだそうだが「ワクチニアウイルス」と命名された。
ジェンナーは種痘の特許を取らなかった。特許を取るとワクチンが高価になり、多くの人に恩恵がいきわたらなくなると考えたからだ。そして、貧しい人々に無償で接種を続けた。富や名声を求めず、医の倫理に忠実な人だったらしい。
米欧の製薬企業が開発した新型コロナウイルスのワクチンをめぐって、特許権の一時放棄を米バイデン政権が提案し、論議を呼んでいる。欧州は反発し「ネックは特許ではなく輸出体制だ」などと反論している。
医薬品の知的財産権については、途上国でまん延するエイズの治療薬などを巡り、以前からさまざまな議論があった。もちろん、知的財産が保護されなくなったら製薬企業が新薬を開発するインセンティブが失われる。白か黒かではなく、最適の落としどころを探ってほしい。
これは、農畜産物の「種苗」にも通じる論点だろう。野生の生物を含めた「遺伝子資源」を営利の手段として囲い込むのは、どこまで許されるのか。人類が農耕や牧畜を始めてから1万年以上になるとされるが、そこに特許や知的財産といった考え方が生まれたのは割と最近のことだ。もし、大昔から発見者や開発者による独占的利用が行われていたら、食と農のあり方はずいぶん違ったものになっていたかも知れない。一方で「営利」が原動力となり、多くの有用な品種が開発されてきたことも事実であり、やは二者択一の議論はできない。
人類が根絶に成功した唯一の感染症は天然痘だ。特許を巡る議論を、天国のジェンナーは複雑な表情で聞いているのではないか。
(農中総研・特任研究員)
日本農民新聞 2021年5月20日号掲載