終戦直後の食料難。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のマッカーサー元帥に吉田茂首相が「このままでは餓死者が出る」と食料援助を要請した。マッカーサーは応じたが、吉田の求めた量には足りなかった。それでも餓死者は出なかった。「日本の統計は信用できない」と言うマッカーサーに、吉田は「統計が正しかったら、あんな戦争はしなかった。統計通りなら我々は勝っていた」と言い返した。マッカーサーも笑うしかなかったという。
秀逸なジョークだが、実際はどうだったのか。猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」によると、実は軍部を含む各省から優秀な若手官僚が秘密裏に集められ、さまざまな統計を総合して対米戦争のシミュレーションをしていた。結論は「日本は必ず負ける」だったが、東条英機陸相(後の首相)らは握りつぶし、開戦へ突き進んだ。つまり真相はこうだ。「統計に基づいて判断していたら、戦争はしなかった」。これは笑えない話だ。
今は、その統計も怪しくなっている。毎月勤労統計を巡る不正は氷山の一角かも知れない。統計は社会が自らの姿を映す鏡だ。それが曇っていたら、社会は誤った選択をしてしまう。鏡に目をつぶった戦前と、危うさに変わりはない。
農林水産関係の統計は大丈未だろうか。全数調査である農林業センサスと漁業センサスも、行政のスリム化や地域社会の変容で困難を抱えていると聞く。調査項目の簡素化などを求められる一方で「成長産業化」に資する統計にすべし、というプレッシャーも高まっているそうだ。そのジレンマが曇りを生まないよう祈りたい。
「統計でウソをつく法」(ダレル・ハフ氏の著書)もある。安倍首相は今年の年頭所感や昨年の臨時国会の所信表明演説で「生産農業所得はこの19年間で最も高くなった」と胸を張った。農政改革の成果を強調したいのだろうが、所得増は供給量の減少による価格上昇が主因で、むしろ生産基盤の衰弱を表しているというのは、多くの人が指摘するところだ。
鏡はクリアでも見る目が曇っていては意味がない。心をむなしくして、しっかり見よう。仮に見たくないものが映っていたとしても。
(農中総研・特任研究員)
日本農民新聞 2019年2月25日号掲載