福島県飯舘村の農業法人に勤めていた昨年、農福連携に取り組んだ。福祉作業所で働く知的障害者に、エゴマの実に混じる不純物(雑草の種など)を取り除く作業を一緒にやってもらったのだ。農業法人が解散したため2回で終わってしまったが、貴重な体験だった。
仕事は丁寧で、コミュニケーションにも問題はなかった。冗談を言って笑い合うこともあった。若い男性が「僕の姉ちゃんは優秀なのに、こんな弟が生まれちゃって申し訳ないよ」と話した時は返答に窮したが。
もちろん、そんな風にできたのは参加者の障害の程度が軽かったからだろう。10年前の明日(26日)、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を殺害した植松聖死刑囚は「意思疎通のできない重度の障害者は不幸を作ることしかできない」と主張し、犯行に及んだ。
先日、その事件を題材とした映画「月」(23年公開)をネット配信で見た。宮沢りえさん演じる主人公は、同僚らが「きれいごと」と笑う理想と醜い現実の狭間で悩む。「現場の描き方に誇張がある」という批判もあるようだが、では障害者施設の多くが人目に触れにくい郊外に立地しているのはなぜか。その閉鎖性がさまざまな問題や疑念を生んでいるのではないか。国連の障害者権利委員会は22年、障害者を隔離せず地域での共生を進めるよう日本政府に勧告した。
共生には「役割」も必要だ。一定規模以上の民間企業に義務付けられる障害者の法定雇用率(従業員全体に占める割合)は今月から0・2ポイント引き上げられ、2・7%になった。しかし、現状でも達成企業は半数に満たない。本業と無関係な仕事を一般社員の職場とは全く別の場所でやらせるような「障害者雇用ビジネス」への丸投げも横行している。単なる数合わせでしかない。
障害者を「見えない存在」にしてきた最大の原因は社会の側にある差別や偏見だ。共生には摩擦も伴うが、それを乗り越えることで得られるものは必ず双方にある。人の思い通りにならない自然と折り合いを付けなければ、良い作物が育たないのと同じだ。「きれいごと」をあきらめてはならない。
(農中総研・客員研究員)
日本農民新聞 2026年7月25日号掲載



