JAは地域に深く根差した存在であり、地域と一体となっての活動展開を本来とする。しかしながらそれが当然とはいえ、これにともない困難を避けられないことも多く、言うべくして容易ではない。その中にはJAに置かれた部会の扱いが含まれるケースもある。部会はJAと一体的に活動していくことが求められるものの、就業規定や給与規定等のJAの運営ルールで一体化が難しく、また税務問題も絡んで部会の運営継続そのものが困難となるケースも少なくない。こうした中で、〝協同組合内協同〟とでも言うべく事業協同組合として独立させながら、部会活動を実質継続させ、そのうえでJAと連携・一体化させての取組みによって活路を見出そうとのトライアルも現場では見られる。
ここでJA佐久浅間の「長興社信州人蔘センター協同組合」を事例として取り上げてみたい。人蔘とは漢方の生薬や加工食品などに利用されるオタネニンジンのことを指し、「信州人蔘」とも呼ばれる。人蔘は朝鮮半島から持ち込まれ、18世紀前半に国産化されるようになったが、佐久地方では1846年に栽培に成功し、以来、佐久市や上田市などの東信地域の中山間地で栽培技術や加工技術が継承され、国内でも有数の産地が形成され維持されてきた。2020年度の栽培面積は約5万6千㎡で、全国で最大の3割強を占め、まさに「知る人ぞ知る信州の特産品」となっている。ところが全盛期の1970年代には3千人を超えた生産者は減少を続け、現在では約20戸までに激減している。近年は漢方薬や健康食品への志向が強く、薬用人蔘の需要は高まっているが、このような生産者の減少にともなう生産量の減少により、産地の維持や栽培技術の継承が危うくなってしまったものである。
これまで法人格を有しない任意団体「信州人蔘部会」として活動してきたが、元は信州人蔘農協として展開してきたものを、2002年にJA佐久浅間に吸収合併する形で運営継続をはかってきた。しかしながら、その部会もJAの運営ルールではJAの負担も大きく、これ以上の運営継続は困難となってしまった。このため地域特産品である「信州人蔘」を守り、産地の再興をはかろうと部会役員が中心となり、関係者とJAに長野県中央会営農支援センターも入って協議を重ねてきた。株式会社等の会社法人することも検討されたが、結局は事業協同組合として相互扶助の精神に基づき、「組合員のために必要な共同事業」を行うことにより産地継続をはかることとし、昨年12月に創立総会が開かれ、今年1月に発足した。
このように組織としては事業協同組合として独立をはかるが、JAから建物を賃借して集荷・加工・販売を行い、精算金の支払事務等はJAに委託するなど、JAとの実質的な一体性を保ちながら、地域特産品の維持・再興を目指す。出荷までに6年を要し、機械をほとんど使わずに手作業で育てる難しさを持つ江戸時代からの伝統作物である「信州人蔘」を〝協同組合内協同〟の展開で守る。昨年10月には労働者協同組法も施行され、〝協同組合内協同〟の選択肢も広がった。これらも上手に活用して協同組合の真価を発揮していきたいものだ。
(農的社会デザイン研究所代表)
日本農民新聞 2023年3月5日号掲載