毎年、筆者も実行・運営するメンバーの一人として川崎平右衛門研究会の開催を積み重ねてきており、今年は11月19日に東京都小平市のルネこだいらで第5回目の開催を予定している。
このプレイベントとして9月23日にはNPO現代座公演『武蔵野の歌が聞こえる』のDVD上映会と、『武蔵野の歌が聞こえる』の脚本・演出を手掛けたNPO現代座代表の木村快氏によるアフタートークを同じルネ小平で行った。
武蔵野新田開発は、江戸時代中期、八代将軍吉宗による幕藩財政立て直しをねらいとする享保の改革の柱の一つであったが、相次ぐ飢饉や凶作もあってなかなか進展させることができなかった。これを成功に導いた立役者が川崎平右衛門である。
平右衛門は武蔵野国多摩郡押立村の名主であったが、武士にはこの新田開発を成功させることは困難と判断した開発責任者である大岡越前守忠相の決断によって、南北武蔵野新田世話役として取り立てられたのであった。平右衛門は、土木工事での農民の使役や井戸掘り等の普請事業を農民自らが行うことによって資金の地域内循環をつくり出し、幕府資金を活用しての安価での肥料手配と農産物の有利販売、共有資金の造成による福祉への手当等を行いながら、農民の力と農民の中に眠る助け合いの心を引き出すことによって成功に導いたものを描いた作品だ。
2014年からの現代座公演『武蔵野の歌が聞こえる』をきっかけに、川崎平右衛門を広く世に知らしめていく活動を展開してきたもので、毎年場所を変え平右衛門ゆかりの地で開催してきている。
今回のアフタートークでは、木村氏が何故平右衛門を取り上げるに至ったのか、協同についての木村氏の考え・思い等が披瀝された。木村氏は1936年2月に日本の植民地であった朝鮮・大邱で生まれているが、お父さんは徴兵されて硫黄島で戦死。残された家族は日本に引き揚げてはきたもののバラバラになっての生活を余儀なくされ、木村氏は広島の親戚のもとに身を寄せることに。生きていくために学校に通いながら日雇い仕事を中心に様々な仕事を経験してきた。そうした中で、自分は生きていくために明日のことを考えるのが精いっぱいで、未来や理想、あるべき姿等を考えることなどまったくなかった、と語る。
ただひたすらにこだわり続けてきたのが「弱者に自立は可能か」という切迫したテーマであった。とにかく自分は弱いから助けてもらわなければ生きてはいけない。その自分が助けてもらうためには自分も他人を助けなければならない。そうした生活を積み重ねる中で助け合い、相互扶助、協同というものが自らの行動・思想の核心部分を形成するようになったという。生み出された多くの作品は一貫してこれらをテーマとするものばかりだ。
「弱い人の現実を見つめるところに協同労働の原点はある」がアフタートークの結びの言葉だ。協同や協同組合については理想や夢の実現を求めて語られることが多いが、木村氏の協同論は地道かつ切実で、現代への示唆に富む。平右衛門を知ってもらうことをねらいとしているが、木村快氏の作品や協同論を知らしめていくことも重要な役割と心得えている。
(農的社会デザイン研究所代表)
日本農民新聞 2021年10月5日号掲載