大震災と原発事故による農畜産物の風評被害をどうみているか。
 福島第一原子力発電所の事故は、国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7にまで達した非常事態。今は、放射性物質の流出を早く止めるためあらゆる緊急手段で全力をあげるべき時だ。農畜産物の風評被害防止も、まずはそこにかかっている。大きな犠牲を払って出荷制限を行っても、多少なりとも汚染の可能性が続いている限りは国民の不安をぬぐうことは難しい。
 風評被害は、大きな事故の発生だけでは起こらない。自分には被害が及ばないと確信できれば人は動揺しないものだ。その確信は、行政・政府への信頼から生まれる。そこが今ゆらいでいる。大きな事故<vラス危機管理への不信感≠ェ風評被害の原因だ。

求められる対応は?
 大事なことは、第1に、どんな情報もきちっと出すこと。第2に、しっかり状況分析を行い、解決の道筋、将来の見通しを、政府の責任を明確にしながら示すことだ。第3に、メディアの報道のあり方も問われる。
 規制値を超える農畜産物が発見された場合、政府・原子力災害対策本部の方針では、出荷制限・摂取制限の対象地域はJAS法上の産地表示義務が県単位であることも考慮し県域を原則としていたが、その後、地域単位に変更された。安心≠フ確保が最優先されるべき時点ではやむを得ない措置だっただろう。ただし条件がある。第1に、制限解除の道筋を示し、なるべく早く解除すること。そして、示した道筋の通り進めること。以上は現在一定の進展がみられている。第2に、風評被害を被った方々にはきちっと補償すること。第3に、規制値は安全≠確保するため、科学的知見に基づいて非常に厳しくリスク評価した値であり、広域の出荷・摂取制限は安心対策≠ナあって危険だから止めるわけではないことや、市場に出ている農産物はすべて安全であることを、繰り返し強調することだ。
 また、今起こりつつある非常に大きな問題が量≠フ問題だ。震災後、消費者心理だけでスーパーやコンビニが空になった。いざ実際に不足するようなことになればパニックが起こることは目に見えている。選り好みもできなくなる。そうした事態をあらかじめイメージしながら、食品の安全、安定供給をどう考えるかということも大きな課題となる。国民が不安に駆られる前に、政府は対策を素早く提示していくことが必要だ。

規制値についてどうみるか。
 放射線が健康に及ぼす影響は、がん以外の急性症状(吐き気、下痢、頭痛、やけど、白血球の減少等)については、約1000mSv/年以下ではほとんど発症が見られず、これを超えると相関が出ることがわかっている。一方、がんについては、100mSv/年以上では相関が認められるものの、それ以下では、人々が元々持っているがんリスクとの区別をつけることが極めて困難となり、放射線とがんの相関ははっきりわかっていない。科学の世界では、少ないほどいいという見方と、低レベルなら規制は不要で、むしろ健康にいいとの見方に2分され論争している状況だ。
 こうした中、規制値を設定する際には、予防の原則から、さらに100分の1以下にするなど極めて厳しい値とすることが一般的となっている。ただ、リスク管理機関によって値に差があるため混乱が生じている面があるようだ。例えば飲料水では、世界保健機関(WHO)の基準0・1mSv/年が最も厳しい考え方で、国際放射線防護委員会(ICRP)では、平常時は1〜20mSv/年、緊急時は20〜100mSv/年としている。日本の基準は5mSv/年だ。こうした差は目的の違いによるもので、いずれの値も安全の範囲内であることは変わりない。どのリスク管理機関も、経済への影響、技術的に管理が可能か、人々が納得するかといった要素も考慮しながら、規制値を決めている状況だ。
 今回の食品安全委員会のとりまとめでは、緊急性が極めて高かったこともあって、こうした議論は十分なされなかった面がある。現在の規制値は完全に安全な値だが、その緩和も含めて今後さらに議論を深めることも期待される。

食の信頼向上をめざす会の取り組みについて。
 「食の信頼向上をめざす会」は平成20年、消費者、学識経験者、生産者、食品事業者、小売・外食業者の有志で発足した。食の安全を守るための意識向上を促し、各種情報を検証して不適切な情報は正していくことが活動の基本だ。
 また、ほぼ同時に発足した「食品安全情報ネットワーク」(FSIN)では、食品の安全に関する必要な情報を収集して科学的立場から検証し、自らも科学的根拠に基づいた情報発信を行っている。こちらも学識経験者、消費者、食品事業者、メディア関係者等の有志による横断的なネットワーク組織で、「めざす会」とともに私が代表を務めている。
 「めざす会」ではメディア関係者と日常的にコンタクトをとり、正しい情報を伝えるためにはどうしたらいいかなどを話し合い、もし科学的に不適切な報道があった場合はFSINで指摘する。
 この2つの会を通じた基本姿勢は、事業者に対しては安全な食品の供給を求め、消費者に対しては、安全性とはどういうものなのかをきちんと理解して行動してほしいと訴えていくこと。風評被害の防止は、中心テーマの一つとして重点的に取り組んでいる。

2011年 4月25日号 第2931号
このひと
食の信頼向上をめざす会会長・東大名誉教授
唐木 英明 氏

 東日本大震災と原発の放射能流出事故の影響で、東北・関東の農業にも甚大な被害が及んでいる中、農畜産物への風評被害が追い打ちをかけている。科学的知見をもとにした冷静な対応を促そうと、食の安全・安心財団(事務局=日本フードサービス協会)とともにメディアとの情報交換会を開催している「食の信頼向上をめざす会」会長の唐木英明東大名誉教授に聞いた。